心理

大事なことはプーさんに教わった

本のこと、子どものこと、シンクロニシティ

自分の影 

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丘のてっぺんから眺めるロンドンの景色が素晴らしいので、
みんなは丘に登るのだが、
ジョギングする人たちは、丘は不吉だ、とくに夕暮れが不吉だと考えていた。
幽霊や恐怖がまとわりついていると言うのだ。
『幽霊をみた10の話』「ジョギングの道づれ」高杉一郎訳より


耳鳴りが年明けから続き、なかなか治らなく病院へ行きましたが
検査では少々の難聴はあるものの(これは加齢かしら!?)めまいなどもないため、
特に急ぐ必要なしとのことで血流改善の薬などで様子をみることになりました。
おかげで、改善しているように感じます。

耳鳴りは不思議です。
そこに意識を向けるとますます大きく、
何か他のことに興味をずらすと、
たちまち音が小さくなるように感じてしまいます。

ところで、フィリッパ・ピアスというイギリスの児童文学作家をご存じでしょうか?

ピアスと言えば、『トムは真夜中の庭で』という有名な文学がありますが、
これは少年のトムが真夜中の12時の大時計の音とともに、
庭のある場所へ入ってしまうお話し。

私はこの本を河合隼雄さんの
『ファンタジーを読む』で紹介されていたので
手に取ったのですが、河合さんの「魂」についての解説付きで読んだため、
純粋に子どもの本として楽しめたのかは今となっては疑問ですが、
トムの心の解放がそこにあり
最後の名場面では、子どもの本とはなにかをまだ右も左もわからない私にとっても
感動と、奥深さと真髄を感じずにはいられませんでした。
ファンタジーを読む (岩波現代文庫 〈子どもとファンタジー〉コレクション 2)

なぜか耳鳴りと、ピアスの作品について
直感的にまた思い出し、手に取ったのが下の作品
『幽霊を見た10の話』

幽霊を見た10の話 (世界児童文学の名作B)

不思議な短編が10話になります。
そのなかで、「ジョギングの道づれ」というお話しの紹介です。

古い本になりますが、人間の「闇をかかえて」(ユングでいうと「影」の部分)
この部分に関してはピアスは書くことに容赦がありません。

あらすじを簡単に説明すると、
ケネス・アダムソンというロンドンにする男は、
足の不自由な弟と、母親との3人暮らしで、
仕事終わりにジョギングするのが日課
しかしアダムソンはいつも「憎しみ」という相棒をつれて
走っていた。その理由は母親が弟を溺愛しているところから生まれた憎しみだった。

結末は読んでみてくださいとしか言えませんが…


過激な言葉や過剰な形容詞で字数を埋めている昨今の本に比べると
あっさりと物事の起こったことを述べているに過ぎないので、
一見、平凡単調とおもいきや、
身に迫る怖さを感じずにはいられないお話しでした。
(そういうこと、あるかもしれないよねというリアリティー

この作品をよんで、『影との戦いゲド戦記を思い出しましたが、
ピアスは無意識の世界を描くときに、
日常にちょっとありそうなことから事件を起こすのが大変読みやすく、
でもまた、目にみえるだけで片付けられない世界を見せてくれます。

自分の憎しみや負の感情をごまかさないで、
自分なりの力に変えていくことは、
時代がいくらめぐっても難しい問題なのでしょうね。


2021.2.3 自宅にて

子どもには同じ話しををせがむ意味がある

子どもに「これ読んで」と本を持って来られたとき、
「え~、また~」と同じ本を何度も読まされるとき
ありませんか?

ひょっとして、図書館や本屋さんでも同じ本を見つけると
「これほしい」と言われたりしたことありませんか?

このような子どもの行いに「?」と思う大人の皆さん、
子どもの心を失っているといってもいいと思いますよ
(もちろん、大人の社会論理のなかで暮らしていると
当然、子ども心は失われているなかに私たちは暮らしているのですが…)

子どもは物語を食べる、と表現したのは、たしか福音館書店の松居直氏だったと
記憶するが、たしかに、子どもの読書は、その血となり肉となると言われることが多い
昔話の魔力



そしてその子どもの内的発達を支えるものに昔話が有効と『昔話の魔力』(ベッテルハイム)
には記述されているのだが…

p,83に、
「子どもの場合は、無意識が前面に出てくるたびに、
全パーソナリティーがたちまち圧倒されてしまう
子どもの自我は、混沌とした無意識の内容にぶつかると、
それを認識して強まるどころか、かえって圧倒され、弱くなってしまう。
しかし、なんとかつかんでいるために、
その過程を外面化しなければならない。
無意識の内容と自分を引き離して、距たりをおき、
なにか自分と別にあるものと考えなければ、どうにも取り扱えないのだ。
これを支配することなど、とてもできない」

長い引用になってしましましたが、要は子どもは経験が少ないため、
その無意識の領域が、ユングでいう個人的無意識の世界というよりは
集合的無意識のなかで、自分でもわけのわからない世界にいるといってもよくて、
それを、現実の社会と成長とにすり合わせるためには、
昔話のような、集合的無意識を扱っているような「物語」が必要ということなのでしょう

そして、それを自分のものにするために
「今の自分が課題としている部分をその物語必要としていると感じると」
なんども「よんで~、よんで~、」となるというのです。

p88
「私の知っているある両親は、
子どものが昔話を聞いて「そのお話しすきだ」といったので、
もっと喜ばせようとして、もう一つの昔話を聞かせ始めた。
しかし、子どもがいいたかったのは、その昔話の中に
自分にとって大切な何かが含まれているという、
まだぼんやりとした感じ
だったのではないだろうか
そのなにかは、同じ話を繰り返し聞いて、
はっきりつかまえる時間が子どもに与えられないと、
どこかにいってしまうのだ。
子どもの考えが熟さないうちに、
別の昔話に関心を向けさせてしまうと、
はじめの昔話の与えた効果が台無しになりかねない」


子どもの心は、大人の常識的枠組みでは
はるかに広いところで、物語を味わっている

たとえば、私たちでも、
今の自分に必要としている「歌」に出会ったとすると、
私たちはそのメロディーと歌詞を自分のものにしようと
なんども聴くことをしないだろうか

求めることは必ずしも同じではないかもしれないが、
子どものがなんども同じ本をせがむのは
同じようなことのようにも思えます。

またまた小難しいことを書いてしまいましたが…(-_-;)
また、具体的に、子どもの心は昔話でどんなふうに動いているか、
この本を中心に書いていければと思っています

ユング心理学は人間の深層心理に「昔話」に注目していました
ベッテルハイムのこの本は古いですが、
内容はいまでこそ読むべき本ではないかと考えています。

その考え方を、日本流の心理学や昔話にあてはめ
広めた方は、河合隼雄さんです
昔話の深層 ユング心理学とグリム童話 (講談社+α文庫)

脈々とつながる昔話には、
人間の心理の集約的なことが詰め込まれていることがわかりますね

物語は過去形で語られる①

あけましておめでとうございます
今年度、は令和3年、2021年です
過去、何年後かには2021年がくると頭ではわかっていることでも実際になってみると、
清々しく
新鮮な気持ちになってきますね

それは2021年というストーリーを前に、
白い画用紙を広げられたような気持ちになるからではないでしょうか!

そして、もちろん2021年というストーリーを、
自分にとってまたは社会にとって「幸せに」形作ることができるように
世界中の人が、コロナ渦であったとしても
心では、誰もが祈っていたに違いありません


少し強引ですが、新年と子どもの読書につなげて考えてみます



猪熊葉子著、『児童文学最終講義 幸せのおおづめを求めて』を読むと、
子どもの本の持つ特性「幸せに向かった物語」としての内容が
要所要所に書かれていますので
本全体が、

いわゆる「新年」を考えるきっかけにつながるのですが、

前半の
p14で、スザンヌ・ランガーという哲学者の大著『感情と形式』のなかで、

――このなかでランガーは、私たちが読んだり聞いたりする物語が
過去時制をとるものであると言っていて、私は意表をつかれました。
そうですね、たしかに物語はどこどこになになにをという人が住んでいました。
その人がこれこれこういうことをしましたした、と全部過去時制で語られています。
彼女はその過去時制で語られているということに注目して、
そこから物語の機能を解明しております――

そう、物語は過去形で語られます

――「現在がいまだ無定形で、不馴れなもので、輪郭が定まらないものであるのに対して、
過去はすでに形成され、固定され終わったものとして、すべてのわれわれの願望や努力から
一種独特な仕方で超越している」…………。……「人生はわれわれがそれに形式を与えぬ限り、
首尾一貫したものではない。……通常、『それを言葉にして』自らに語り、
『場面』によってそれを構成し、そうすることによって、われわれは心の中で
その重要な瞬間を再現することができるのだ。

ここで書かれている
「現在がいまだ無定形で不馴れで輪郭が定まらないもの…」
新年を迎えた「無定形」だとすると

物語というものが、いわば、我々にとって、すべて無定形のものに首尾一貫性を与え、
はっきりと物事を理解させてくれるものであるということで、
具体的にさまざまな人間のありようのイメージを与えてくれ、
さまざまな時代のさまざまな場面を切り取って見せてくれるものであることになるものです


(大人でさえうろたえるこの社会情勢の急激な変化
子どもは乗り越えることができるだろうか…)

そう思うのは、本当の意味での
物語体験が満たされていない大人、
もしくは自分のストーリーが、
定規杓子というセロファン紙で包まれた経験と記憶…


そう、子どもは「めでたし、めでたし」で終わる物語をとおして成長すると
「無定形」なものに、具体的にイメージをつくって再現するときに、
「幸せのおおづめ」に向かって、思考が動いていくように思うのです


「自己肯定感を高めよう」というスローガンでは
決して前向きになることはありません
逆に、自分のだめさ加減ばかり責められているような
気持ちになるのではないでしょうか…

長くなりましたが、
新年に向けて、悲観的になるようなニュースばかりになっていますが、
こんなときこそ、子どもの物語の力でエネルギーを感じたいものです

いつだって、「絶望」から光明はあるものです

指輪物語』のフロドとサムは、
絶体絶命から光を信じ
旅をつづけました


子どもには「どうぞよい物語を!」

今年一年間、子どもの本を通じて、
幸せのストーリーを共有出来たらな、と思っています



ローズマリー文庫として子どもの本のこと発信していきます!
ホームページ、ご覧ください

piasu0121.jimdofree.com

幸せの大詰め

子ども本関係のこと、しばらく書けないかもですが、
目指すところは一緒です。
「幸せの大詰め」
トールキンの言葉をうけますが、
やっぱり幸せの大詰めをわかりやすく伝えていくことが
私のやりがいのように思います。
児童文学最終講義―しあわせな大詰めを求めて

猪熊葉子というトールキンの生前に日本人で唯一教え子になられた方の本です。
子どもの本に関わる方、
幸せとはなにか思いを馳せる方は読んでみてください。
いい本です。



形は違うかもしれないですが
結局は
子どもの本の扱う領域、昔話、神話、ファンタジー、は心の指南書であり救済です。
それをユング心理学という深層心理の枠組みで、西洋占星術の力を借りて説明できればと考えたりもしています。

パキラの葉の色あせ

パキラの葉が色あせたので、アマゾンで買ってみました。
葉の色が生き生きと戻ってきた!という口コミを見たのでポチッと。

勉強、勉強で息が詰まっているのか、
突然、ホームセンターで買ってきて世話を始めた娘。

今後、色が戻ればいいなぁ。

私、全然優しくないよ

どちらかというとさっぱりしているように見える娘。

が、やってることは

看護師の勉強で
行き詰まりを感じで植物を育て始めたり、
ハーブティーの資格を急に取りたいと言ったり...

え?!
それって、魚座の領域ですよね。

はい、彼女のmcはしっかり魚座です!

癒しの領域

無意識なところで、しっこりとその星座を生きている。

ホロスコープ、あなどれないですね!

いま読みたいヴァージニア・ウルフ

あたり前すぎて、意識にすら上がらない…
こんな常識にいよいよNO!と言える時代の芽吹きを感じるこのごろ。

今朝、おもむろに開いたぱらぱらと分厚い『世界の名言名句1001』(三省堂)をめくった。

世界の名言名句1001

世界の名言名句1001

ウァージニア・ウルフの物憂いけど信念の強さを感じる「目」にはたと手が止まった。
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1882年ロンドン生まれの彼女は、社会が激動するなかで、
自分はどうありたいか、どうなりたいのか、そして女性と男性と人間について深く洞察してきた人であった。
ja.wikipedia.org

自分だけの部屋 【新装版】

自分だけの部屋 【新装版】

短大時代に選考した英文学では女子大だったこともあってか
授業ではヴァージニア・ウルフを来る日も来る日も読んだ。
その時の凛と背筋を伸ばして教科書を読む先生の印象とウルフは重なったのだが、
残念ながら、どんなテキストを読んだのか、一切思い出せない…
しかしその名前と、媚びないで生きる女性像とインプットされたのは、
(そもそもそれが教育の狙いだったと思うが)いまは感謝しかない。


「男性の女性解放に対する反対の歴史は、おそらく女性解放そのものの話よりも興味深いでしょう」



ジェンダーギャップ110位の国、日本(ちなみに参加国は149か国)

www.gender.go.jp

誰にが気が付いていると思うが、女性解放は女性の問題ではなく男性の問題だ。

この結果に目を背ける、または麻痺しているのは男性だろう。

2位じゃダメなんですか?!

数年前に、スパコン「京」の予算に対して連坊氏が国会で答弁したことがありましたが、
2位と1位の比較にならない110位
もはや麻痺しているとしか思えないですよね。

しかも、自分をたなにあげて、その鉾先を女性に向ける。
論理のすり替えで。

性被害にあった女性が、悪い
育児休暇をとらせる女性が、悪い
働かない女性が、悪い
子どもを産まない女性が、悪い
子どものしつけが悪いのは、母親が悪い


なぜ、男性は女性が自由になろうとするとそこまでうろたえるのか…


そして、ヴァージニア・ウルフの時代より100年、
ウルフは「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなくてはならない」と書いた。

随筆『自分だけの部屋』―-ケンブリッジ大学で行った講義をもとにしている――は、
架空の語り手と語りを用いて、架空の女性作家や登場する女性たちを考察し、家父長制度の悪影響を語った…。
いまお金と自分の部屋を持っている女性はどれぐらいいるのか。

自分だけの部屋 【新装版】

自分だけの部屋 【新装版】

現代、自立している独身女性から「お金と部屋」を結婚という甘い包装紙に包んだ制度で
奪おうとしているのは、怯える男性とそれを手に入れられなかった女性ではないのか。

個人的にも圧迫感でうちひしがれそうないま、
ヴァージニア・ウルフを読みたい。